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        「総合的なADRの制度基礎の整備について」に対する意見書(パブリックコメント)

                                                                           平成15年年9月1日
    司法制度改革推進本部事務局 ADR検討会 御中

                                                                            大澤 恒夫(弁護士)

 貴事務局におかれて平成15年7月29日に公表された「総合的なADRの制度基盤の整備について」(以下では「報告書」といいます。)に対して、以下のとおり私の意見を申し上げます。

1、「多様なADR」の重要な価値

いま私たちの社会は、そのグランドデザインを大きく変革すべき時代を迎えています。特に、社会関係の形成や運営の在り方は旧来とは大きく変化しており、権威や権力によって頭ごなしに物事を処理することは受け容れられず、真の意味での「個人の尊重」という憲法的な要請を中心に据え、個々人を主役とした透明なプロセスにより、個々人が納得できる路を探るという基本的なスキームが求められています。

人々が紛争あるいは広く揉め事に直面したとき採りうる解決・克服の在り方についても、個人の尊重の理念に立脚し、価値観の多元化、複雑・高度化を踏まえて、人々が自律的に解決を図ってゆくために利用しうる多様な路が提供され、当事者その人自身が主体となって納得のゆく解決を目指すことができるようにしなくてはなりません。特に、これからの社会においては、紛争もブラックボックス化された裁断による処理では済まされず、人々の自主性を尊重した対話のプロセスや柔軟な自律的解決がより重要なものになってきます。人々が自身の直面している問題について、どのような解決・支援方法のもとで、どのようなプロセスを経て解決・克服して行くかを、幅広い選択肢の中で自主的に選択できるようにしなくてはなりません。また人々はこのような解決プロセスを利用するだけでなく、解決・支援の方法の設計や運営にも自身が参画することによって、社会全体の紛争解決の在り方を多元的で洗練されたものにしてゆくことができます。

そして現に、対話のプロセスを核として自律的な社会運営を図ってゆこうとする、大きな草の根的なムーブメントがいま、日本の社会を覆いつつあります。紛争ないし揉め事の解決についても、家庭、職場、学校、地域社会など幅広い分野で、多様な人々が自分たちの手で自律的な解決を支援するため、さまざまな理念や具体的な技法を学び、訓練を積んで、多様なADRを創造しようと奮闘努力しつつあります。この現実的な動きは日本全国に及んでいます。

従来、紛争の門前に立った人がその解決を求めて中に入ろうとすると、そこには法律という重い鋼鉄製の扉があり、その奥には暗くて先の良く見えない一つの路があるにすぎませんでした。「多様なADRを育もう」という今回の検討会の主題は、このような状況を打破しようとする基本的な価値を有するものであり、高く評価されるものです。ただ、報告書に示された具体的な論点の中にはこの主題の行く末に障害を生じる危険があるのではないかと思われる部分もあります。

本書では、気が付いたいくつかの点を指摘したいと考えます。

2、自律的紛争解決支援の理念と技法の多様性・創造性とADR

従来、紛争解決は法律家の独壇場であるというイメージがありました。しかし、価値観が多元化し利害対立が複雑高度になった成熟社会においては、アプリオリに決定されている法律的な基準というものが、一刀両断に紛争を解決することができるというのは、一面的な幻想であることがはっきりしてきました。

従来「紛争」に関する一般的な考え方は、「目指されるべきは、紛争解決であり、その担い手は法律家であって、解決手法は裁断または説得である」というものが支配的だったと思います。

しかし、多様なADRでは例えば、@目指すべきは紛争の「解決」ではなく「克服」あるいは「共生的な関係変容」と考えるアプローチ、A担い手の活動は「解決」自体ではなく解決の「支援」である考えるアプローチなど、多様な理念や役割論が考えられています。Bまた社会運営の原初的な形態としては、第三者による裁断や説得ではなく、当事者本人間の任意の対話を通じた自律的な解決が第一次的に重要性を有するという観点から、解決手法としても対話の回復と促進、説得によらない自律的合意ないし変容を中心に据えるというアプローチも有力です。

これらの多様なアプローチは法律家が身に付けているものではありませんから、紛争に関する活動だからといって法律家が当然に適切に対応できるというものではなく、むしろ、自立した個人である市民の同輩が特別のトレーニングによって必要なスキルを身につけて、人々の多様なニーズに応えるべきであるという考え方が広まりつつあり、現にそのようなトレーニングを研究開発し、実践する民間の活動が育ちつつあります。

学問的な切り口としても、紛争というものをどのようなアプローチで捉え、どのような方法で解決ないし克服を図ってゆくのかについて、社会哲学、臨床心理学、社会学、交渉学その他さまざまな分野で学際的な研究が活発に行われはじめていますし、実務的な技法についてもカウンセリング、ケースワークその他さまざまな手法を参考とした具体的な検討がなされ、多様な解決プロセスのあり方が創造されてきています。

もちろん法律を駆使した解決の試みも一つの重要な方式ですが、あくまでもこのような多様な解決のあり方の一つに過ぎないという観点が重要だと思います。

このような多様なアプローチの価値は明らかであり、これが「多様なADR」の基礎として存在しています。このような多様なアプローチの外延は今後も一層広げられ、深められなくてはなりません。多様なADRの先端は柔らかくしておかなくてはならず、多様なアプローチによる創造に委ねられなければなりません。そのような多様性の育みは国家をはじめとする公的機関ではなしえません。民間の創意に委ね、その評価もまたユーザーの観点に立った民間でなされるべきであり、その中で良いものが残ってゆくという基本的なスキームにしなくてはなりません。

さらにこれらの実用化は、それぞれのアプローチに基づく特別のトレーニングを積まなければ身に付かないものであり、それは法律家だからといって為し得るものではありません。かえって法律家は法律論の呪縛から脱することができなければ、このような多様なアプローチを受け容れることが難しく、そのようなアプローチによる解決支援には適しないとの意見も聴かれます(私が1999年にニューヨークの私的なMediation事務所を訪問した際に、その事務所を運営するMediatorからそのような話を聴きました。)。

今回の総合的な制度基盤の整備が「ADRの多様性」を目指すものである以上、このような実質的な観点から、真に多様性を育み、傷つけない基本的な枠組みを構築しなければなりません。

ところが報告書では、「検討に当たっての基本的考え方」において、ADRが必ずしも十分に機能していないのは、ADRに関する国としての基本的姿勢やADRの位置付けが明確でないことを挙げ、ADRの提供体制や手続に対する信頼が確立されることが重要だとして法制の整備を説き、時効中断や執行力の付与、それらにふさわしいADRの構築という、法的な色彩の強い方向を示しています。そしてそのような法的色彩に沿って法律家による縛りを加える方向性も示されています。しかし、これでは前記のようなADRの多様性の育みは望まれず、結局は法律家が支配し法的な権威付けがなされるものだけが認知され、前記のような社会全般にいま起こりつつある、個人の尊重に立脚した自律的解決支援に向けた大きなムーブメントが押しつぶされてしまいます。

3、ADRの公正性・信頼性とADRの法的効果

報告書の中に示されている考え方の中には、≪ADRの拡充・活性化のためには、ADRの公正性・信頼性が必要で、公正性・信頼性を持たせるには時効中断の効力や執行力を付与する必要があり、そのような法的効力を付与する以上は法律家の関与が不可欠で、ADR機関としての認知も事前になされなくてはならない≫というロジックの流れに沿ったものが示されています。

しかし、ADRの拡充・活性化は、前記のような民間から創造される多様なADRの輩出の中で自然に育まれるものです。ADRに各種の法的鎧を着せることは、多様なADRの輩出に障害をもたらすことになり、実際上は限られたADR機関しか存在しないようになってしまい、したがってまた、ADRの拡充・活性化は望み得ないものとなることが明白です。

ADRの公正性・信頼性のうち、ADRに内在的な価値としての公正性・信頼性は、多様なADRが稼動して相互に切磋琢磨し、利用者や民間の評価によって改善・淘汰されてゆくことにより、形成され維持されるべきものです。公正性や信頼性は自律的で不断に行われる自省に基づく軌道修正によってのみ、真に身のあるものとして確保されるものです。

「法律家が関与して時効中断や執行力が付与されるようなADR」があってももちろん良い訳ですが、そのようなADRでなければ公正性や信頼性がない(あるいはそのようなADRであれば公正性・信頼性が確保される)と考えるのは誤りです。

ADRの多様性というのは、まさに「法律家も関与せず、時効中断も執行力も付与されないけれども、人々が対話回復の場を提供され、心から納得して自律的な解決に至ることができるようなADR」が提供されるというところに、価値があるのです。そしてそのようなADRは人々から公正性や信頼性についても高い評価を得ることになるでしょう。公正性・信頼性を傷つける行為に対しては、民事責任や刑事責任の範疇で事後的に規制することで対処すべきです。

4、弁護士法72条の問題

報告書では、弁護士法72条の解釈として「法令を紛争解決の判断基準とするか否かにかかわらず法律事務に当たる」という考えが示されています。この考え方は、紛争解決は全面的に法律家の仕事であるという考え方に基づいていると思われますが、そのような考え方が一面的な幻想であることは先ほど見たとおりです。法律業務の独占が行われている米国においても、法令の適用を行わないMediationは「Practice of Law」には該当せず、弁護士以外の者も適法に主宰しうることが確立され、多様なADRが花開いています。日本においても多様なADRが育まれ人々の役に立つべきものであるならば、少なくとも同様の解釈を採用すべきですし、日本でも実際にはそのように解釈している研究者が多いのではないかと思います。

従来、紛争解決というとすぐに「法的な解決」や「裁判」がイメージされてきましたが、前記のように利害が複雑高度になっている成熟した社会における自律的な紛争解決の支援を目指すものとして、多様なADRが求められています。そこにおいては「法的知識」や「法的判断」などではなく、当事者間の自律的な紛争解決の支援のために研究・実践されているさまざまな理念・技法・プロセスを身につける特別のトレーニングが必要であり、これはいわゆる法的解決のためのスキルとは全く異なったものであって、法律家と言えどもそのような能力があるとは言えないものです(むしろ法律を振りかざしてしまう法律家には向かないという意見すらあることは、前記のとおりです。)。

紛争に直面した人々にとって重要なのは、多様なアプローチによる紛争解決・支援の方法が提供されていて、それぞれの理念・技法・プロセスのあり方に関する具体的な情報が分かりやすく示され、自主的かつ容易にその中から自分に適合する方法を選択し、自律的な解決を試みることができるということです。これまでは紛争の門に立った人がドアを叩くと、そこには法的処理の暗い道が待っている状況だったのであり、このような状況を打開して、人々が真の意味で主体として多様な選択肢の中から選べる紛争解決・支援を提供しようというのが、ADRの基本的課題だったわけです。この基本的な視点を忘れないようにしなければなりません。

弁護士法72条が法律家だけをADR主宰者と認めたり、法律家によるADRの管理を必須のものとするように解釈されるのであれば、同条の存在は多様なADRの育みや拡充・活性化にとって大きな障害となるものです。少なくとも弁護士法72条は法的基準を用いない紛争解決支援に対しては適用されないことを明確にすべきものと考えます。そして、法的基準を用いる解決方式を採用するADR(法的基準を用いないことを基本とするADRにおいて、事案の解決の進展に応じて法的基準の適用が必要となった場合を含む)にあっては、当該ADRの判断で適宜法律家の関与や助言を得るようにすれば良いわけです。

5、事前確認方式について

報告書には、ADRが一定の適格性を有することを公的機関が事前に確認する方式が示されていますが、先ほど申しましたようにADRの公正性や信頼性は国家の権威や権力によって付与されるのではなく、民間における多様なADRの輩出と切磋琢磨、利用者をはじめ民間における評価を通じて確保されるべきものであり、公的機関による事前確認方式は多様なADRの育成に障害をもたらすものと考えます。従って、ADRに対して公的機関が事前確認をする方式は採用すべきではないと考えます。

6、おわりに

 私は本書において、個人の尊重という憲法上の要請に立脚した自律的な紛争解決・克服のための支援として、多様なADRが成熟社会における紛争への多元的な対応の路として創造されることが必要であるとの観点から、意見を申し上げました。ここで誤解のないように明確にしておきたいのは、私は、裁判所を中心とする法の適用を通じた紛争解決のプロセスは法の支配の核心をなすものであり、裁判プロセスの洗練やアクセスの拡充も従前同様に、不断の努力をもって遂行されなければならないと考えていることです。

しかし、紛争はすべて法的なプロセスとして解決が図られなければならない(あるいは法的なプロセスがすべて解決できる)と考えることは、大いなる幻想か思い違いです。裁判などの法的なプロセスだけが拡充されるだけでは、現代の成熟した社会に生起する多様な紛争について、全面的に対応可能とは言えません。そもそも価値の多元化した社会において個々人が主役として尊重されるためには、あらゆる社会的なプロセスが対話を通じて合意に基づき遂行されるべきであり、紛争解決の場面においても、第一次的には紛争当事者自身が主役となって対話を通じて自律的な解決が目指されるべきですし、いま全国的にそのような観点に立った草の根のムーブメントが起こり、多様なADRの創造に向けた具体的な活動が行われつつあるのです。

今回のADRの総合的な検討が、このような多様なADRの輩出を支援するものとなるように心から願っております。そして、裁判を中心とした法的な解決プロセスも併せて一層洗練されたものとなり、多様なADRとともに全体として、国民の紛争対応のニーズに応えてゆくことが、これからの日本の社会を支えるインフラとなるべきだと考えます。                                       
            
                                                                                     以上

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