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「同席コミュニケーションによる合意形成と法律業務」に関する覚書
1998年12月 弁護士大澤恒夫 

 日本でも確実に進展しつつある法化社会において、法とその運用の果たす役割は当然ながら一層広くかつ深いものになっている。裁判官や弁護士などの実務家は日々、そのような法を媒介し、法の支配を実現するためにプラクティスを行っているといってよい。

 法律実務家の活動は大きくいって、裁判所における活動とそれ以外のものとがある。裁判、特に訴訟手続は事実の認定と法的な判断を中心とした判決手続に重点が置かれる。今後も種々の法的コンプライアンスが強く要請される分野等では、訴訟=判決に期待される役割が大きいことは間違いない。

 他方、我々弁護士の日常の法律業務においては、紛争の解決や予防のあらゆる局面で、裁判外において私的当事者間の合意を形成する仕事が大きな部分を占めている。一般の民事紛争や家事紛争はもとより、ビジネス紛争の解決においても、裁判前の話し合い=合意形成による解決の試みが重要である。このような紛争が調停手続に持ち込まれることも多く、そこでは当然話し合い=合意形成による解決が模索される。また、訴訟に至った場合においても、紛争実態に適合し納得の行く解決に至るためには和解が極めて重要であり、そこにおける合意形成が重要な課題になってくる。さらに会社更生事件や特別清算事件、私的整理事件といった倒産処理手続では多数債権者の利害を統合し合意にまで高めて処理をする必要があり、話し合い・交渉による合意形成が重要性を有する。 

 紛争の予防という点では、適確な契約関係の樹立という場面で(もちろんこれ以外に、例えば企業において社内に予防システムを構築するなどのことが重要であることは言うまでもないが)、やはり交渉=合意形成が重要なテーマになる。

 このような法的交渉や和解については既に、小島武司教授を中心として研究が深められていることは周知のとおりであり(小島教授『法交渉学入門』、その他)、実務家の間でも法的交渉や和解の重要性に対する認識が高まってきている(小島教授・加藤判事『民事実務読本W(法的交渉)』、廣田弁護士『紛争解決学』など)。

 もっとも、このような合意形成に関する具体的な技法や手続運営については、実務家の拠るべき日々のプラクティスの具体的指針になるような検討は必ずしも十分にはなされていないと思われる。また、交互尋問の技術などと異なり司法研修所でも特別の教育はなされていない(調停委員についても調停の技法に関する教育はまったくなされていない。)。日々の合意形成プロセスは、我々実務家が慣習的に或いは個人技的に、さらには状況によっては場当たり的に行っている、というのが実情ではないだろうか。その象徴的な姿が調停や裁判上の和解で一般的に行われている交互・個別面接方式による折衝である。当事者A側が相手方B側のいない席で裁判所(裁判官や調停委員)に向かって自分側の言い分を主張し(そのさいこちら側Aは相手側Bの居ないところでできるだけ裁判所を抱き込もうという心理が多かれ少なかれ働き、誇張が伴うことが相当あると思われる。)、裁判所はその中から心証を取った上で、当事者を交替させ、先に聴取したA側の言い分の中から適宜取捨選択した内容をB側に伝え、今度はB側の話を聞く、という作業を行う(和解室の外で待っている当事者側は、中でどのようなことが話されているのか疑心暗鬼になっている。)。これを繰り返す中で裁判所はかくあるべきと考える解決案を探求し当事者に対して説得を行う。弁護士は代理人として関与する場合、依頼者から事情を聴取し、それをもとに弁護活動を行う。その際、相手方当事者や裁判所との間に立ちはだかって、後方の依頼者を保護する盾になる気分で活動をすることが多く、裁判所の前でできるだけ依頼者本人に語らせず、勢い弁護士が本人の代弁をしようとする。同じ「保護の気分」の中で弁護士が依頼者に対する説得も行う(パターナリズム)。裁判所においては、場合によってこの交互方式の過程の中で当事者本人を調停・和解室から退席させ、代理人弁護士だけを残らせて裁判所から弁護士に対する説得が行われることもある。このように交互・個別面接方式のもと具体的な技法もなしに合意形成のための説得プロセスが行われているのが一般的な実情と思われる。

 このような実情に対して近時、家事調停に焦点を当て、そのあるべき姿として「同席調停」を推奨・実践している井垣康弘判事の業績が発表され、内外の注目を集めている(井垣「同席調停」『現代裁判法大系』第10巻親族所収ほか)。同席調停の考え方においては、当事者を真の意味で紛争の主体として位置付け、当事者自身に紛争解決の能力があることを前提として、当事者自身が解決をつかみ取る過程が調停手続であり、調停は双方当事者が同席する場で一定のルールに基づいて話し合いを行うことがメインであって、当事者自身による話し合いを援助するのが調停者の役割であると考えられている。そのようなプロセスで当事者自身によって形成された合意こそが、紛争の真の解決をもたらすという信念がその背後にはあると思われ、井垣判事はそのことを自ら手掛けた多数の家事調停事件に基づくデータで示しておられる。また、米国で調停の実践をしておられるレビン小林久子氏は最近出版の『調停者ハンドブックー調停の理念と技法』において、家事事件に限らずビジネス紛争なども含めた一般の紛争解決について同席調停が極めて有効適切であるとし、その具体的なプロセスや技法を詳細に示している。同氏は法律家ではないが、米国で調停者として専門教育を受け、プロフェッションとして調停業務を行っている。そこにおいては法的な判断者としての姿は全くなく、当事者の自主的コミュニケーションを回復させ、自主的解決にいたるまでの助力に徹する調停者の姿が描かれている。

 別席・交互・面接方式の調停プロセスを見てみると、我々実務家は当事者を紛争解決の主体ではなく単なる処理対象と考えているのではないか。両当事者並びに裁判所の三者間における情報の共有が適正に行われず、歪曲された断片的事実で裁断がなされ、それが説得の名の下に当事者に押し付けられているのではないか。したがってまた上記のような説得の結果としての解決では当事者の真の意味での満足は得られないのではないか。また同席調停と比べ時間も多くかかるのではないか、という疑問がある。

 井垣判事らの「同席調停」の問題提起は、調停という場面だけでなく和解手続、その他さまざまな法的交渉や合意形成型の倒産処理などにも大きな影響を及ぼす可能性がある。更には訴訟手続においても当事者を重視し、双方当事者本人を交えた口頭での同席コミュニケーションによって争点整理等の手続運営を積極的に行うべきとする考え方とも相通ずるものがあると思われる。

 私自身も日々の弁護士業務の中で、「同席コミュニケーションによる合意形成」という観点から、いくつかの具体的事件で実践を行ってきた。例えば、特別清算事件においては特別清算人が弁済協定案を作成し多数債権者の合意を得なければならないが、ある大型事件で厳しく利害衝突する複数の金融機関の間での利害を調整し弁済協定合意にまで統合する過程で、同席コミュニケーションの考え方を提案し遂行した。また、再開発事業に伴い旧地権者を相手として再開発事業者及び自治体との間に生じた土地明渡請求の紛議についても、同席の話し合いを提案し、解決に至った。離婚事件で相手方についた弁護士の了解を得て、双方の弁護士事務所を交互に使用して事実上の同席調停を実践してきた。ストーカー事件で加害当事者と被害当事者を同席させ、直接双方当事者の言い分をぶつけ合わせることによって、双方が納得し和解解決に至った(その後ストーカー行為は止んだ)事案もある。このような実践を通じて、事件を訴訟という形でスタートさせた場合よりも迅速で安価な(そして望むべくんば当事者の満足度の高い)解決がなされたのではないかと思っている。

 小島教授はつとに、弁護士の役割として中立的な調整機能に着目されていた(小島教授『展望 法学教育と法律家』)。中立的な調整機能を目指そうとしても、現実の事件で生身の人間と紛争の放つギラギラしたエネルギーを受け止めながら実際の対処を迫られるとき、私は喜怒哀楽の渦に巻き込まれ、思い悩むことが多い。弁護士として同席コミュニケーションにより合意形成を目指す際の確固たる理念や具体的技法がないからである。特に依頼者から紛争解決の依頼を受ける場合、あくまで依頼者の代理人として活動することが期待されているのに、訴訟をしてほしいと相談のあった事案について、訴訟をする前に話し合いでの解決を試みたらどうかと依頼者を説得し、解決の過程で相手方当事者も交えた同席コミュニケーションを提案し、利害調整を図るということは、一歩間違えれば依頼者から大変な誤解を受けることにもなりかねない。また、弁護士の経済的基盤となる報酬を誰からどのように貰えば良いのかという問題もある。依頼者が法律事務所のドアを叩いたときから事件の終了まで、弁護士と依頼者との間にはバラエティや変化に富んだ種々の場面が連綿と続く山々のようにある。法律業務における弁護士の役割としては、助言者、代弁者、交渉者、中立的調整者等々のさまざまなものがありえよう。弁護士はこのような種々の場面で、どのような理念に基づいて、具体的にどのようなプロセスや技法で役割を演じるべきなのか。

 「同席調停」、特にレビン氏の調停は、弁護士業務の在り方や存在基盤について重大な問題提起につながるものだと、私は受け止めている。レビン氏の調停は徹底して当事者本人を尊重することから、弁護士による代理を不要にするようにも見える。前記のようにレビン氏は法律家ではない。米国では相当の時間をかけて専門的訓練を受けた非法律家が民間の調停会社で調停を行うビジネスがあるという。同席調停は弁護士職の地盤沈下をもたらすであろうか。同席調停の理念と法の支配との関係はどうなるのか(レビン氏の調停では一切法的な判断はなされないという。)。真の意味で対話の回復した当事者間で形成された合意は、その形成過程で法的判断が介在していなくとも、どのような内容であれ当事者自身が納得していれば適法有効なものと考えて良いか。翻って、同席コミュニケーションによる合意形成を通じて適正、迅速かつ安価な紛争解決がなされるようになれば、そのような解決手法への実際の需要も高まり、弁護士業務の裾野を大きく広げることになるのではないか。特に今後、司法試験合格者の増加により弁護士人口が増え、それら弁護士が同席コミュニケーションによる紛争解決や紛争予防に取り組み成果を挙げて行けば、一層そのように言えるのではないか。

 同席か別席・交互であるかは、一見非常にささいなことのようにも見える。また、別席交互方式はそれなりの生活の知恵があって慣行的に採用されているという面もあるのかもしれない。同席調停を疑問とする実務家が多いことも事実で(実際、仲間内で同席調停のことを話題にしても相当大きな反発が寄せられることが多い。)、同席で話し合いをすると暴力沙汰に発展するのではないかと危惧し、あるいはそもそも話し合いにならないと断定する人も多い。しかし、私が実際の事件への関与の過程で感じている範囲では、同席にして話し合いができないとか暴力沙汰になるということはないのではないかと思う(むしろ直接対話を望む当事者を無理に引き離すことの方が暴力への発展のリスクがあるとも言われる。)。適切なオリエンテーションや運営手法が実践されれば、手続きの公正性や当事者の納得(満足)の度合い、迅速性(なお、迅速性はコストダウンにもつながる)等の点で同席調停が別席交互方式にで大きく水をあけることが証明されるはずである。当事者自身の納得という点では、特に不法行為の事案で同席コミュニケーションにより直接被害者が加害者に自分の痛みを伝え、加害者から謝罪がなされるという場面が設定できれば、その種の紛争解決に大きく寄与することが期待できるのではないかと思う。

 このように「同席コミュニケーションによる合意形成と法律業務」というテーマを巡っては、種々の疑問、不安、期待が私の頭の中で激しく渦巻いていて、現時点で全くまとまりがついていないが、検討すべき多くの課題があると思っている。

     (以下略)


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