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企業法務便り――現場からのリポート4

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交渉ということ(その4)

■ 「交渉」をめぐる基本的視点

  揉め事の解決交渉にしろ取引の締結交渉にしろ、「交渉」はテーブルの下で人知れず行われる日蔭の行動のように扱われてきましたが、いまや太陽の光のもとで展開される高度なアクティビティとして認知されるようになってきました。ことに経済の司法化に伴って大きな交渉事が裁判の舞台で取り上げられ、あるいは裁判を梃子にして世間に正当性を訴えかける形で交渉が行われる事例が頻発し、世間の耳目を集めるようになったことにも一因があります。もっとも私自身は、できれば裁判はしないで当事者間の話し合いで問題を自主的に解決するのが望ましいという考えを持っており、このことは前に申し上げたとおりです。問題に直面した企業や個人などの当事者が、自分の本来の力(自律性)を遺憾なく発揮しあって、当事者間同士で対話を行い、自主的で豊穣な解決を図ることに根源的な価値(憲法13条の個人の尊重に基礎を有するものであることは、前に述べました。)があり、しかも当事者間で行われる自主的な解決は「法律」という固定的で定式的な決め事よりも、しなやかで当事者の本当のニーズにマッチした解決を紡ぎ出すことができるからです。交渉は、不透明な要素に支配される前近代的な握りつぶしや圧力に支配されるのではなく(この点で裁判は、不透明な圧力に対抗する最後の砦として、とても重要です。)、相互に本来の自分の力を発揮し正当性を主張し合い、尊重し合って双方のニーズにできるだけ適合する自律的な解決を目指すプロセスとして洗練されるべきです。

■ 対話による交渉

人は交渉に当たり、「自分」が尊重されるべき個人であるのと同様に、その「他者」も尊重されるべき個人であるという、相互的関係にあることを踏まえなければなりません。このような相互的に尊重されるべき人々の間の関係形成は、基本的に話し合い=「対話」により、相互に納得できる結論を探求することにより為されなければならないでしょう。

では「対話」とは、どのようなことをいうのでしょうか。世の中では何事につけて「対話が重要だ」といわれる割に、いったい「対話」とはどのようなことをいうのかは、必ずしも明確ではありません。哲学者などの文献を総合してみてみますと、おおよそ次のような態度をもって遂行する話し合いが「対話」であるといってよいと思います。

 @ お互いに、相手は自分と異なる価値観、経験、認識、意思、感情などを有する個人であることを出発点として認識すること。

A 相互に、そのように異なる個人として尊重し合うこと。

 B 自分の考えが唯一絶対のものではなく、もしかしたら他に正しい、あるいはより良い考えもありうることを認識し(可謬性の認識)、自分や相手方が対話の過程の中で変容を遂げることに開かれていること(変容の受容)。

 C 自分の考えを相手に伝え、相手に質問するとともに、相手が話すのを聴き、相手の質問を受けて答えようと努力するなかで、自己に対する問い直しを自ら行うこと。

 D このような基本的な態度をもちつつ、相互に自分が最も良いと思う考えを形成してその具体的な理由とともに提示し合い、その考えや理由について相手と話し合いをしながら、相手と共有できるものを一緒に探すこと。

■ 納得のゆく交渉を支える「対話」

このような対話は、交渉において相互に納得のゆく解決を目指すプロセスになります。では「納得」とは、どのようにして得ることができるでしょうか。これには大きく言って、2つのことが重要だと思います。一つは、その解決が「正しい」と思えることです。この正しいと納得できるかどうかを吟味するプロセスを支えるのが「対話」なのです。当事者A・B間で、Aにとっての正しい解決とその理由、Bにとっての正しい解決とその理由を、相互に提示し合い、質問しあい、すり合わせるプロセスです。

もう一つは「自分で決めた」と思えるという要素が不可欠です。いくら正しいものであっても、他人から無理に押し付けられたものでは、人は納得ができないでしょう。自分で決めたと思えるような自律性の発揮がサポートされなければなりません。この当事者の自律性が発揮される場が、「対話」なのです。結局「対話」は、「正しいと思えること」と「自分で決めたと思えること」をサポートし、納得できる解決に結びつけるプロセスとなるのです。そして、納得をつむぎ出すプロセスとしての対話により交渉が行われることが望まれるのです。

■ 対話のプラットフォームとしての法情報

課題の解決を目指した「対話」において、法的な情報は対話のプラットフォームとして意味を持つことができます。法的な情報は、法令の条文、裁判例、通達、ガイドライン、学説などがあり、長い年月にわたって蓄積された貴重な情報が幅広く存在しています。そこには、多角的な観点から、つまり一方当事者からの視点だけでなく、他方当事者にも保護されるべき点があることや社会公共的な利益に注意が払われるべきこと、利害の整理と配分の基準、その実質的理由などが書かれています。具体的な事案の交渉で、納得を支える正当性をめぐる話し合いの場面で、当該事案に関連性のあると思われる法的情報をその具体的な内容とともに提示し、「対話」のベースとすることは有益です。しかし、「法律」は「法律だから正しい」のではありませんし、こちらが「それが法律だ」と思っていても、実はよりよい解決があるのかもしれません。自分が思っている内容を唯一正しいものとして無理に押し付けるということは、基本的にすべきではないでしょう。

■ 交渉理論と「対話」

 次に「交渉」そのものの在り方に焦点を当てた「交渉理論」として、ハーバード大学交渉学研究所で開発された著名な「原則立脚型交渉」について、ご紹介しましょう。これは、Rフィッシャー、Wユーリー『ハーバード流交渉術』(1982年)で日本でも紹介され、20年以上も経過した現在においても、交渉を考えるうえでまず出発点として理解しておくべきものと考えられています(外国の交渉教育者などの話を聞いても、かならず出てきます)。

 原則立脚型交渉の理論においては、以下のような諸点が強調されています。

 @ 「立場」で駆け引きをしないこと。自社の主張をまるごと押し通すために、中味の実質の議論を避けて、「とにかく当社では立場上、これ以外は応じられない」と主張するような対応は、交渉とは言えません。

 A 「人」と「問題」を切り離して考えること。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というのではなく、交渉の対象にすべき実質的な問題に焦点を当るべきだということです。憎いという感情の問題は感情の問題として解決を考える必要があります。

 B パイをできるだけ大きくして、幅広く複数の選択肢を考えること。もめ事においては一般に、当事者の一方が得をすると他方が損をするという構造(ゼロサム・ゲームにおけるWin−Lose)の中に身を置いている訳ですが、視点を変えて考えてみると、意外と双方の欲しているものが違っていて、選択肢を増やすことで双方の必要を満たすことができる場合があります。それがいわゆるWin−Win Resolutionをもたらします。

 C 利害の衝突については、(立場の駆け引きではなく)できるだけ客観的な(双方当事者の意思とは無関係の)基準による解決を考えること。

 D 合意が成立しない場合の対策案や、不調時よりはましな次善案(BATNA,Best Alternative To a Negotiated Agreement)を考えておくこと。

 このような原則立脚型交渉の考え方は、人々が相互に尊重し合いながら自律的に「対話」を行う際に、常に心に留めておくべき基本的な態度を示すものといってよく、「対話」のアプローチに沿うものです。ただ、十分な「対話」を経ることなく、すぐにDの「客観的基準」と考えるものへの依拠を求め、相互に自分の主張する「客観的基準」に固執して押し付け合うことは、自律的な対話の理念から遠ざかることになる点を注意すべきであり、「客観的基準だから適用すべきだ」というのではなく、「なぜその基準が正当なのか」を具体的なレベルにまで引き下ろして対話をすべきです。

  今回の紙数が尽きましたので、次回は交渉理論の続きとゲーム理論などを取り上げたいと思います。

以上

 

(その4 おわり)

 

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