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調停者は裁判官たりうるか?
弁護士大澤恒夫

 「裁判官は調停者たりうるか」という問題提起は、「裁判官は調停者(注:あるいは和解運営者・・・・「調停者」に対応する和解運営者の名称はなんと呼んだらよいであろうか?)としての技法を身に付けているか(身に付けうるか)」といった観点から想定できる。

 逆に「調停者は裁判官たりうるか」という疑問は、単なる技法の問題を超えて、より原理的な(あるいは理念的な)問題を含んでいる。近時、家庭裁判所が家事調停だけでなく家事関係訴訟も担当すべきではないか、という問題提起がなされ、その議論の一環として調停での心証が訴訟に引き継がれるべきではないかという問題提起がなされているという(注:民事調停の場合はどうか?)。

 まず、裁断型調停観のもとでは、調停者は当事者の陳述等から一定の心証を形成し、それをもとに一定の裁断を下して説得し当事者間に合意を形成せしめるという役割が期待される。そこにおいては調停者が一定の心証を持つことが前提となっており、また調停も心証による判断を示すひとつの裁判過程であるから、調停プロセスにおける心証が第二の裁判プロセスである訴訟において引き継がれたとしても、原理上は何ら不都合なことはない、という理屈になりそうである。

 これに対して、同席調停の理念のもとでは、調停者は中立・公正な立場から当事者間のコミュニケーションの援助・促進者としての役割を期待される。そこにおいては調停者は、証拠を調べず、判断を下さない。(ブルックリンの調停では調停での当事者のやり取りの記録は訴訟等に引用されないことを当事者に保証して、当事者に自由な対話を積極的に行うべきことをガイドしている。)

 そのような役割を果たすべき調停者の「心証」が同じ裁判所のなかで行われる訴訟に引き継がれてよいであろうか?証拠調べをしない調停者に一定の「心証」があるということ自体が概念矛盾をはらんでいることは別としても、「同席調停の理念における調停者」に信頼を寄せた当事者の眼からすれば、心証に基づく判断をしないはずの調停者(の心証が引き継がれ、同一の裁判所)が、後の訴訟になって「調停段階での心証」を基に一方当事者に利益(で他方当事者に不利益)な判断を示すというのは、信頼を裏切られたという感覚に陥るのではないか(そしてその感覚は一般人として無理からぬものである)、と危惧される。したがって、同席調停の理念においては、調停での心証が訴訟で引き継がれるということ自体、理念に反する制度(ないし運用)であると考えざるを得ない。

 もっとも人訴法10条の弁論主義不適用、同14条の職権探知主義からすると、人事訴訟においては裁判所は当事者の主張立証にかかわらず事実を探索できることになっているから、家事調停での資料はすべて人事訴訟の資料として自動的に吸い上げて良い、ということになるのであろうか?しかし逆に、弁論主義不適用や職権探知主義を根本から問い直す必要があるようにも感じる。

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